プロフィールその2

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クラフトマンとしての経歴
物づくりの観点から、詳しく自己紹介します。(自慢話は控えています。)

生まれてから高校生まで

  • 3代前まで大工をしていた家系に生まれ、小さいころからノコギリや金づちを遊び道具として育つ。(よく血だらけにならなかったと思う。笑)
  • その後も、遊び道具を買ってもらえないので、バット・釣竿・タモの柄等を自作する。
  • それらの経験で、小学校の図工、中学校の技術で、時々目を見張るものを作るが、「工作の天才」と語り継がれるほどではなかった。
  • 高校は普通科で、全く物づくりに疎遠になる。1年からバイクに乗り始め、バイクの色を自分でピンクに塗り替え自己満足していた。バイク、シンナーが手元にあったが、非行に走らず、渓流釣りばっかりしていた。

高卒から20代前半のころ

  • 高卒で郵便局へ就職する。まず金沢に約5年間在住。寮やアパートではごくごく平凡な生活をしていた。作ることといえば、料理はうまい方だった。
  • 22歳で、地元福井に帰り、自宅通勤となる。これを機会に何かしようと決意する。ずっと続けられる何かを見つけ、私だけのオリジナルな生き方をしようと思った。私が得意なこと、それは「物を作ること」、自分自身を振り返れば、自ずと答えは出ていた。
  • その年の夏(23歳)雑誌で「フィッシュカービング」の記事を見つけ、大いに感動する。私が打ち込むべきなのはこれだ!と感じた。何もわからないまま、材料や道具をそろえやってみるが、全然うまく作れない。

24〜29歳   ・・・木彫を追求する時代

  • 良い道具を求め、富山県の井波へ行く。光雲堂(後に匠雲堂)で刃物を買う。その際、木彫をやりたいのなら、金沢の忍者寺前の「西岡工房」へ行ってみなさい、と紹介を受けた。
  • 西岡工房の木彫教室に週1回通うことになる。約2年ほど西野西方先生の指導を受ける。
  • 27歳で福井で木彫教室(ウッドクラフト美呼人)を主宰しようと、地元新聞で旗揚げし、福井県青少年センターで教室を始める。バード&フィッシュカービング製作に、1年目は15人の参加者があり、週1回の教室を運営する。1年目の成果を、当時の職場:福井中央郵便局窓口で第1回の展示会を行い好評を得る。
  • 28歳、2年目の参加者募集で、一気にメンバーが増え40名の大所帯に、その中には、高校の元美術教師や後に木彫工芸で日展作家となる方など、そうそうたるメンバーでの教室を主宰し、刺激的な日々を過ごす。2年目の成果を福井放送会館内「北電サービスステーション」で第2回の展示会を行う。大好評で、多くの取材を受ける。
  • 29歳で結婚する。結婚式の引き出物として、桂材の2段引き出しを77個製作。
  • 29歳、3年目の教室を運営するが、翌年転勤の関係で教室は2年8ヶ月で終了する。

30歳〜40歳  ・・・アウトドア活動全盛のころ

  • その後も、1日や1泊2日のイベントでバード&フィッシュカービング講座の依頼があり、単発的に講師を務める。クラフト的製作時間はかなり減少したが、細々と物づくりを行う。
  • 結婚前から丸太小屋に興味を持ち、長女がお腹に居る時、軽井沢の丸太小屋スクールで1週間勉強する。
  • 33歳で家(丸太ではなくハウスメーカーの物)を建てたので、それまでの小物作りから一転し、家周りの外装や、内装に力を入れる。
  • 35歳、ひと通り、家関係の製作を終わり、物づくりはほとんどやらなくなる。釣り、カヌー、キャンプ等アウトドアに熱中する。そのころ、地元新聞で、「アウトドアの達人」として紹介される。

41歳〜現在  ・・・サクラマスとルアー製作

  • 40歳で初めてサクラマスをルアーで釣り、41歳でルアー作りを始める。
  • ルアー作りの腕は伸び悩むが、サクラマスはそこそこ釣れるようになる。
  • 2004年7月、福井豪雨による未曾有の災害で、大切な作り物を流してしまう。私はその年の区長(自治会長)として、災害復旧のため、趣味は約半年封印する。
  • 2006年5月、自作ルアーでサクラマスを釣る。(マスが釣れない年で、福井の地元民でも釣れた人は片手しかいない。)
  • 2006年7月、自己都合で、勤続27年の郵便局を退職する。
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